【移民はもう日本にいたよね】公園を埋め、そして消えたイラン人 あの波は日本に何をもたらしたか

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公園を埋め、そして消えたイラン人 あの波は日本に何をもたらしたか
2019.06.10

30年ほど前、大勢のイラン人が日本にやってきた。携帯もネットもまだ普及していないころ。彼らは週末ごとに東京の代々木公園や上野公園に集まり、その後は潮が引くように消えていった。あの波は日本社会に何をもたらしたのか。日本が外国人の就労を拡大するいま、考えてみたい。(朝日新聞論説委員・平田篤央、文中敬称略)

■欧州に渡った 2人の明暗

2001年秋から04年春までテヘランで暮らした私にとって、イラン人は親日家という印象が強い。だれもがテレビドラマ「おしん」(*1)を知っているし、「ヒロシマ」を口にする。
(*1)1983年~84年に放映されたNHKの朝ドラ。戦中、戦後の混乱期を生きる女性を描いた。イランではイラクとの戦争中に放送されて共感を呼び、放送中は街から人影が消えるほどの人気に。

それだけに、1990年代初めに起きたことが心のどこかにつかえていた。当時、メディアは「公園がイラン人に占拠された」とセンセーショナルに報じた。変造テレホンカード(*2)や薬物取引など犯罪がらみの報道ばかり目立った。
(*2)公衆電話用のプリペイドカード。国際電話ができるカード式公衆電話もあり、無制限に使えるよう細工された変造テレカが問題となった。
行政は公園から彼らを排除し、さらには入国にビザを義務付け、不法滞在を厳しく取り締まった。まるで異物を排除するかのように。「親日」の裏には、別の感情が隠れているのではないのか。

それを確かめるため、私はまず北欧のスウェーデンに向かった。91年に20代後半で来日し、15年間過ごしたシェイダ(仮名)に話を聞くためだった。彼は特別な苦労をしていた。本名も住んでいる街も明かさない約束で取材に応じた。
「あんな国だと知っていたら、絶対に行かなかった」。予想はしていたが、いきなりそう断言され、さすがに複雑な気持ちになった。

シェイダはゲイである。日本でカミングアウトし、同性愛者の権利を訴える集会などにも積極的に参加した。イランを離れた理由でもある。79年の革命後、イスラムの教えに基づく国づくりを掲げたイランで同性愛は死刑なのだ。
2000年、路上で職務質問され、不法残留を理由に逮捕された。収容されたのは茨城県牛久市の入管施設だ。強制送還される恐れがあるため難民申請した。ゲイの団体などの支援も受けて最高裁まで争ったが、結局認められなかった。
(リンク先に続きあり)

代々木公園の入り口は、多くのイラン人でごった返していた=西山毅・写真/文 「東京のキャバブのけむり」(ポット出版発行、径書房発売)より
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