【旅行】アメリカ人の人気観光地チャールストンは今も奴隷制の傷痕が残る街だった

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アメリカ人の人気観光地チャールストンは今も奴隷制の傷痕が残る街だった
2019.06.09

米国では、国内旅行の人気ランキング上位の常連である。パステル調の壁、大きなベランダのお屋敷街に、ヤシの間から南国の陽光が降り注ぐコロニアルな街並み。数多くの教会や礼拝施設は、フランスでの迫害を逃れてきたユグノーユダヤ教徒ら様々な人々を受け入れてきた街の寛容さを物語る。そんな港町独特の開放感も、訪れる人々を引きつけるのだろう。 だが、高級ブランド店が並ぶ歴史地区の目抜き通りから、さらに歩を進めていくと、この港町の繁栄が、実は奴隷の苦難とともにもたらされたことを示す「負の遺産」の数々に行き当たる。(沢村亙、写真も)

今からちょうど400年前、米独立前のバージニアに上陸したオランダ船から20人余のアフリカ人が食料と引き換えに降ろされた。いらい、米本土に直接連れてこられたアフリカ人は約40万人。その4割を受け入れて、奴隷貿易の玄関港として栄えたのがチャールストンだった。
港のそばにある旧商品取引所(①)の北側の路上では、かつては盛大に奴隷が売り買いされていた。テーブルの上に奴隷が「陳列」されて、業者が大声でせりにかけていたという。
だが、19世紀半ばには、人目につく場所での売買は奴隷制廃止運動家に妨害されやすくなり、市当局は1856年に屋外での奴隷売買を禁止。かわりにできた売買施設の一つが今も、旧奴隷市場博物館(②)として保存・公開されている。
(リンク先に続きあり)


観光馬車が行き交う米チャールストンの歴史地区。昔は灯台の役目もあった教会がそびえる
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